洞窟おじさん原作本

洞窟おじさん


テレビで見た『洞窟オジさん』がよかったので原作本を図書館で借りてきた。
ドラマが原作を忠実に描写したものだということが読んでみてよくわかった。
頭のなかのイメージが文章になじんでドラマとの違和感がまったくなかった。

ドラマにはなかった場面もいくつかあって内容により深味が加わっていた。
足尾銅山の洞窟でシロと暮らした日々の逸話は何度読んでもホロリとする。

親から愛されず、家にも学校にも居場所がなかったおじさん。
唯一のともだちは飼い犬のシロだった。シロが死んでからの
山の独り暮らしはどんなにか寂しかったことだろう。

「怖さは耐えられるが、寂しさは耐えられない」と話されていた。

寂しいけれど人がこわい。人間不信で閉ざされていたおじさんの心がほどけたのは
後年、障害者施設で出会った理事長や事務員の保嶋さんとの出会いがあったからだ。
ほんものの温かい人間関係に巡り合えたおじさんの笑顔が輝いていた。

自分に関心を持ってくれる人がいるのは幸せなことである。
心あたたまるとてもいいお話を読ませてもらった。
洞窟おじさん、ありがとう。
[ 2016/01/27 08:26 ] 読書 | CM(0)
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  • 余命の使いかた

    御室八十八ヶ所で先日、がんで余命を告げられたと言う初老の男性に出会った。
    見た目はお元気そうで、とてもそんな重病人には見えなかった。
    日常会話のように淡々と病状を話されるようすに深刻さはなく、
    聞いてるこちらのほうが「深刻な顔して」と笑われてしまった(^^;


    愛宕山にもよく登られているそうだ。健康な人でもけっこうきつい山だ。
    「息がしんどくないですか」とたずねると、「鍛練ですな」とこたえられた。
    病は気からと言うが、男性の精神力の強さに驚かされた。


    ちなみに余命を告げられてから一年たつそうだ。抗がん剤治療はされていないと聞いた。
    生きる力を得るべく、近藤誠先生をはじめ、たくさんの本を読まれたそうだが、
    近藤理論については、すべてが正しいとは思っていないともおっしゃっていた。


    余命という言葉は重い。がしかし、
    病気のあるなしに関わらず、誰にでも寿命と言う余命がある。
    当然、トシをとるほど余命は短くなる。


    自分の余命はあとどのくらいだろう。最近そんなことをよく考える。
    残された人生、なにをして生きていったらいいのかわからない。
    これと言ってやりたいことも生きがいもない。


    折しも朝刊で、ふと目について心から離れないことばがあった。


    「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」




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    本のタイトルだった。すぐに書店で購入した。
    タイトルどおり、渇いた心に水がしみこむような本だった。
    著者は"がん哲学外来"で、がん患者や家族の話を聴く活動をされている病理学者だそうだ。
    薬もメスも使わず、言葉の処方せんだけで、闇(病み)に閉ざされた心に光をとりもどす。


    生きる希望をなくした患者さんには、



    「あなたの居場所はどこですか」


    「あなたは何のために存在するのですか」


    「どうすれば残された人生を充実させられると思いますか」



    など、「自分」という存在の根本(土台)を見つめ直す質問をするそうだ。
    まさしく、いまの自分に向けられた質問のようでドキリとした。


    人は誰でもこの世でやるべき役割や使命があると著者は言う。
    それらは自分のことばかりを考えているうちは見つからず、
    自分以外のものに関心を持つと見えてくる。本の帯には、


    「命より大切なものはない」とは考えないほうがいい。
    命が尊いことは確かですが、命が一番大切と考えてしまうと、死はネガティブなものとなり、
    あるときを境に死におびえて生きることになります。
    命より大切なものを見つけるために、自分以外のもの、外に関心を向けてください。
    そうすれば、あなたに与えられた人生の役割や使命が見えてくるのです。


    とあった。


    命より大切なもの。インパクトのある言葉だ。


    いままでどんな生きかたをしてきたかはどうでもいい。
    人生最後の5年間、自分の役割をまっとうして死ぬ。
    それが残された者たちへの「よき贈り物」になる。



    自分の役割ってなんだろう。言葉を使って"なにか"を伝える。
    "なにか"とは、誰にとっても本質的なこと、本当に大切なこと、
    伝わると元気になるような、そんな目に見えないもののこと。


    ブログもそういう動機で始めたが、独りよがりで結局なにも伝わってないような気がして、
    書く情熱が失せてしまった。非二元だとか悟りとか、現実離れしたことを探求するより、
    地に足を着けてふつうに生きるほうがよほどえらいことやと思うようになった。がしかし、
    このふつうに生きるというのがむずかしい。人間界いろいろ煩わしいことが多過ぎて。


    本をめくると、次のような言葉があった。


    本当に大事なことは少ないよ。私たちを煩わせることのほとんどがどうでもいいこと。
    だからたいていのことは「ほっとけ」で大丈夫です。
    なんでもかんでも深刻に考えることはありません。
    もっと楽に生きていいんです。



    ほっ(^^;


    とりあえず、深刻に考えるのはやめて今日の花に水をあげよう。
    あの男性に、こんどまた会えたら、この本を贈ろうと思った。
    [ 2015/08/26 19:10 ] 読書 | CM(5)
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  • 「死んだら墓に入る」はもう古い

    母が亡くなったとき、高野山の菩提寺に遺骨を納めに行ったことがある。
    在所にも寺と墓はあるが、本山に分骨するのが田舎の習わしになっていた。
    電話でお寺さんに供養料をたずねたら、基本料金が5万円でオプションで10万でも15万でもと言われた。
    供養もお金で差がつく。戒名もそうだ。


    以前から形式ばった葬式に疑問を感じていたが、実際に式を執り行う側になって実感したのは、
    葬儀とはなんとめんどうなものかと言うことだった。


    娘のときは付き添っていた病院から帰宅して休む間もなく葬儀の段取りに追われた。葬儀屋さんとの打ち合わせや親せきなどの応対があり、ゆっくりお別れをするゆとりもなかったのがいまでも心残りになっている。通夜、告別式が終わったときは心身ともにくたくたになった。


    葬式だけですむならまだしも、初七日に続いて四十九日や百カ日の法要、骨納めの儀式などがあり、
    葬式の後もいろいろとやらなければならないことが多く落ち着かない日々を過ごすことになる。
    一周忌がすんで一段落はするものの、墓があれば寺との関わりはそれこそ死ぬまで続くわけで、
    これもまためんどうなものである。


    寺や宗派に縛られないもっと自由な葬り方はないのだろうか。
    通夜や告別式をしない火葬だけの直葬。海や山に散骨する自然葬や墓石がわりに木を植える樹木葬などがあるが、究極の葬り方は宗教学者の島田裕巳氏が提案する0葬である。


    骨も墓も残さず千の風になる。



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    現実にそんなことができるのかと言えばできるらしい。
    一般に火葬場では遺骨を引き取るのが原則になっているが、
    申し出があれば引き取らなくてもいい火葬場もあるそうだ。


    骨はどこかに捨てられるわけではなく、業者が引き取り骨粉にするなどの処理後、契約寺院の墓地に埋葬され、供養もしてくれるということだ。火葬の温度を上げれば、骨を残さず灰にするのも可能ではないかとも書かれていた。灰になれば後の処分、あるいは供養も楽である。


    墓は石。縛られると心が重くなる。この本を読んで縛られていた心がずいぶんと軽くなった。
    そもそも位牌や仏壇も本来の仏教とは関係なく、中国の儒教から来ているということは「お盆の話」にも書いたが、先祖供養の歴史を知ったことで「なにがなんでもしなければ」という強迫観念がなくなった。


    霊や魂についての考えが変わったせいもある。
    以前は霊や魂の存在を信じていたが、いまは死んだら個としての"わたし"は消えて、
    源であるものと"ひとつ"になる、と考えている。


    霊の話を語る霊能者は生者の心を慰める語り部のようなもの。
    「語る」は「騙る」にも通じる。だまされないようにしたい。
    供養をネタにお金をとる霊能者には近づかないことである。
    [ 2014/04/14 06:08 ] 読書 | CM(2)
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  • 『めぐり会い』との再会

    岸田るり子さんという京都生まれの推理小説家がいる。
    ストーリーもだが、京都が舞台になっているので別の意味でも楽しめる。
    広沢の池が出てくる『Fの悲劇』を読んだのがきっかけで他の作品も読むようになった。


    先日、図書館で予約していた本を借りに行ったら表紙に見覚えがあった。
    1ページ目でそれとわかった。前に読んだことのある本だった。


    パソコンで図書検索したときは、同じ作者の本だとは思いもしなかった。
    幸いにも?ストーリーは忘れているのでもう一度読んでみることにした。
    ところどころ記憶はあるが細部までは覚えていないのでおもしろかった。


    知らずに再会した本だったが、よほど縁があるのだろうか。
    以前、ブログでも紹介していた。その名も『めぐり会い』と言う。


    魂の片割れとの出会いをテーマにしたロマンチックなストーリーだが、
    今回はロマンチックとは関係ないところで共鳴する文章を見つけた。


    家族との関係で心にトラウマを持ち、人生に挫折した主人公の青年が、
    琵琶湖のほとりで夕日が沈むのを眺めている場面での独白である。



    僕は沈んでいく太陽を見るのが好きだ。
    光の恩恵を受けて輪郭を明らかにしていたものが少しずつ不確かなものになっていき、
    最後に闇の中へ消えていく。


    そうなるまでの中間の時間、すべてのものが闇と混同するほんのつかの間、
    不思議な錯覚を起こすことがある。


    個という重くてやっかいな荷物をおろして、自分も闇の中にとけ込んでしまえるような錯覚。


    ある意味、僕にとって安らぎの時間でもあった。
    それほど、僕は僕自身の存在をもてあましていた。


    人生で本当に重いのは、自分自身を背負って生きていくことだ。


    日没は、そんな重い荷物から一時、僕を解放してくれる。





    人生で本当に重いのは、自分自身を背負って生きていくことだ。


    「自分が重い」という感覚に共感しました。
    白猫も沈んでゆく夕日を見るのが好きです。
    [ 2014/02/12 22:13 ] 読書 | CM(0)
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  • がん治療をする前に読んでおきたい本

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    『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一先生と、
    『がん放置療法のすすめ』の近藤誠先生の対談本を読んだ。
    がんになったときに手術や抗がん剤などの治療をしないとどうなるか、
    これまで言われていたことと違うお二人の話に目からウロコが落ちた。


    思うに、医療も宗教と同じで信じることで成り立っている。が、医者は神様じゃない。
    信じて救われればいいが、痛い目をするのは自分だし、下手をすれば命を落とすこともある。
    なにもかも医者まかせにするのではなく、自分でも調べるなりなんなりして
    納得のいく治療法を選びたいものだ。


    読んでおいて損はない本だと思う。


     がん医療のタブー
    [ 2013/05/14 05:23 ] 読書 | CM(0)
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  • 病院に行く前に読んでおきたい本

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    『がん放置療法』の近藤誠先生の新刊を読みました。
    これはまた過激なタイトルをつけられたものですね(^^;


    近藤先生は、「医者によく行く人ほど早死にする」と言われてますが、
    その理由がこれを読むとよくわかります。



    医者にかかればかかるほど検査が増えて「異常」が見つかり、
    薬を飲んだり手術をするハメになる。
    薬のほとんどに病気を治す力はなく、副作用は大きい。
    がんが見つかると、いきなり胃や子宮を切り取られたり、
    死ぬほど苦しい抗がん剤治療をさせられる。
    こうして命を縮めます。

    「信じる者は救われる」と言いますが、医者を簡単に信じてはいけない。




    同感です。日本人(特にお年寄り)は、お医者好き、薬好きが多いですが、
    検査や治療が逆に体と心の大きな負担になっている場合があります。


    白猫の知り合いにもそのようなかたがいます。
    脳ドックで6mmの動脈瘤が見つかり手術されましたが、
    その後、体調が思わしくなく、歩けない、頭が重い、
    体がだるいなどの不調をいつも口にされています。
    薬の副作用もあるのかもしれません。


    素人考えで、手術しないほうがよかったんじゃないのかな、
    検査をしなければ知らないまま、普通に暮らせてたんじゃないかな、
    などと思ったことがありますが、当たらずとも遠からず。
    本に次のようなことが書かれていました。


    1cm未満の動脈瘤が1年以内に破裂する確率は、0.05パーセント
    20年たってようやく1% (被験者数2621人) だそうです。


    上記は欧米の調査結果ですが、日本のレポートもありました。
    3mm以上の脳動脈瘤が見つかった男女5720人の調査結果です。




    全体の破裂の割合は年率……0.85%(105人に1人)

    3〜4mm……0.36%

    5〜6mm……0.5%

    7〜9mm……1.69%(59人に1人)

    10〜24mm……33.4%





    破裂しない人の追跡が不十分なので、実際の破裂率はもっと低いそうです。
    リスクは0ではないですが、0.5%であれば自分なら手術しないと思います。
    知人の女性も知っていたら、しなかったかもしれません。


    ドックやがん検診などの弊害も書かれていました。
    検診を受けると不要な治療をされて、手術の後遺症、抗がん剤の副作用、
    精神的なストレスで早死にする人が多くなると書かれています。


    がん検診の弊害については、この本にも同じことが指摘されていました。


    検診の是非は、本を読んで各自で判断していただくとして、
    白猫は「過剰な医療」は百害あって一利なしと思っています。


    病気になったら必要な治療を受けるのは当然ですが、
    「予防のため」や「念のため」に各種検査をしたり、
    薬を飲んだりする必要はあるのかと言うことです。


    必要な治療と不要な治療の見極めはむずかしいところですが、
    白猫は自覚症状がなければなにもしない派です。


    年をとったら体のどこかしらに不具合が出てくるのはあたりまえ。
    老化 (=自然現象) は病気じゃないので、医療では治せません。


    白猫は医者嫌いなので、めったなことではお医者に行きませんが、
    これからもよほどのことがないかぎり、病院には行くまいと思いました。


    最後に。
    「医者を簡単に信じてはいけない」という言葉は近藤先生にもあてはまるわけで、
    ここに書かれていることも鵜呑みにしてはいけないと思ってます。
    近藤先生の説に疑問を投げかけるこんな意見もありました。 


    賛否両論いろいろあれど、最終的には自分が納得できる方を選ぶしかないですね。
    [ 2013/03/01 08:10 ] 読書 | CM(2)
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  • 長生きとご臨終

    長生きはしんどい。
    高齢者の日常を見ているとそう思う。
    昔と違い食べ物に不自由がなくなり、
    医療のおかげで人為的に長生きが可能になったが、
    はたしてそれが幸せなことなのか疑問に感じる現実がある。


    人生50年の時代は老後の不安を感じる間もなく寿命がきて、
    病気で医療に関わる期間も短かったにちがいない。
    亡くなるのも病院でなく在宅死が多かった。


    生物学的には生殖期を過ぎた動物は死ぬのがあたりまえ、
    と言うと語弊があるなら自然の摂理だと言う。
    生物学者の本川達雄さんの本の受け売りだ。



    長生きが



    動物の生きる目的は、おおざっぱに言うと子孫を残すためなので、
    自然界の動物は生殖活動を終えるとおおむね寿命が尽きるのだが、
    人間だけが例外だと言うわけだ。


    年寄り無用論かと反発を覚える人もあるかもしれないが、言われてみれば、
    人間も動物の一種なのだから、そういう見かたもできると思った。


    「いのち(人命)は地球より重い」という言葉にどことなく違和感を覚えるのは、
    地球上の生物で人間だけが特別というニュアンスをそこに感じるからかもしれない。
    人間も他の動物も子孫を残して死んでいくことに違いはない。


    生殖活動だけが生の目的だと思うとむなしい気もするが、
    (独身の人や子どものいない人はなおさらだろう)
    残りの人生はおまけと思うと、生に執着する気持ちも薄らぎ
    気が楽になったことも事実だ。


    気が楽になったついでに、
    著者がつくった「おまけの人生音頭」を歌ってみよう。




    一、むかしゃ 人間五十年
      今じゃ 人生八十年
      ついたついたよ おまけがついた
      何に使おか 何に使おか
      このおまけ



    二、老いと若いは 時間も違う
      時間違えば 世界も違う
      キッパリと 別だと けじめをつけて
      楽しもうじゃないか 二つの人生
      それぞれに



    三、速いばかりが 能じゃない
      便利 移り気 薄っぺら
      こくが出るには 時間がかかる
      白髪 しみ しわ 白髪 しみ しわ
      だてじゃない  



    四、天気ばかりじゃ 草木も枯れる
      元気ばかりじゃ 能天気
      老いも病も 心のこやし
      真に知恵ある 真に知恵ある
      人つくる



    五、若い時には 遺伝子の奴隷
      恋愛 子づくり 家づくり
      年季明けたら くびきもとれて
      晴れて自由の 晴れて自由の
      時がくる



    六、他人のことなど 考えぬ
      遺伝子利己的 近視眼
      そんなけちな了見 さらりと捨てて
      遠く未来を 広く社会を
      考える



    七、働きつづけよ 動けるかぎり
      お役に立ちましょ みんなのために
      おまけの時間は もらいもの
      感謝しながら 使おうじゃないか
      ありがとう






    おまけの人生の終点は、幸せなご臨終である。
    『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一先生の本を読んだ。



    幸せなご臨終



    死ぬときに医療はいらないとする考え方には共感するものがある。
    助かる見込みのない高齢の患者にも等しく濃厚な医療を施すことで、
    苦しみを長引かしている今の医療に中村先生は疑問を投げかけている。


    自然界の動物は口からものが食べられなくなったときが寿命である。
    本来なら人間もそうあるのが自然だと思うが、死は忌むべきもので
    生きることだけを尊ぶ価値観が人を容易に死なせてくれない。


    医療とは治療するだけでなく、患者の苦痛をとるのがしごとではないのか。
    亡くなっていく人の苦痛を緩和し、安らかに逝かせる看取りの医療が
    あってほしいと切に願う。


    自分のことで言えば、あまり長生きしたくはないと思っている。
    身の回りのことが自分でできなくなったら死にどきだ。


    母のように独りで逝くのも悪くないと思うが、いつどんな死に方をするかは
    それぞれの「縁」によるものだと中村先生は言われている。



    最近は「安らかに死にたい」が大流行のようだが、これだって、
    そのときどきの縁によって決まるものであり、望んで得られるというものではない。

    だいたい、死に方にいいとか悪いというのはないはずで、安らかであろうが
    のたうちまわった末であろうが、それはそれで黙っていただくしかないと思っている。

    死に方と死ぬ時期は、その人のもつ因とそのときの縁によって決まるものである。
    よく、七転八倒の苦しみの果て死んだ人に対し、前世か現世で犯したことの
    報いであるかのようにいわれるが、わたしはそうは思わない。

    たとえば、がんの激痛で苦しむ場合など、放射線や大量の抗がん剤によって、
    不用意にがん細胞をいためつけたとか、食がすすまないといって注射で
    無理に高カロリーの栄養分を補給して、がん細胞にお相伴させてしまう
    というような"縁"のせいとも考えられる。

    苦痛で、うめいたり、のたうちまわったりするのは、その姿から何かを
    周囲に学ばせたいとする仏の配慮と考えたい。

    どんな死に方にも意味がある。重要なことは、その死から何を学び、
    何を受け取るかである。




    一日一生。おまけの人生を、とにもかくにも生きている。
    [ 2012/11/03 05:14 ] 読書 | CM(0)
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