頭が"マタア"になる話

書くことがないないと言いながら、10年たったいまもまだ書いている。
実際はもっと前から書いてるので、我ながら「よぉやるなぁ」と思う。


「好きだから」と言うのもあるが、「ヒマだから」と言う事情も大いにある。しおしお。
ものの役にも立たんこと書いてんと、額に汗してもっと働きたまえ、と叱る自分がいる。
もっともだ。自分でも、こんなこと書いててなんになるん、と疑問に思うこともしばしばだ。


なんで書くのやろ。と自分に問うてみた。
やむにやまれず書いている、という言葉が浮かんだ。
苦しいとき、悲しいとき、思いの丈をノートにせっせと書いていた。
書くことで感情が浄化されるのか、書いたあとは幾分気持ちが楽になった。


そんなことなら、わざわざネット上で公開せんでもいいやんか。広告の裏にでも書いとけ。
と突っ込む自分がいる。もっともだ。読んだら頭が"マタア"になる精神世界の話なんか、
生きていくのになんの役にも立たへん。だれもそんなん興味ないわ。その証拠に、、


写真などを見て初めはちょくちょく訪問してくれていた読者さんも、読みすすめていくうちに、、
「この人ちょっとおかしぃんとちゃうか?!」と思うのか、いつのまにか離れていくことが少なくない。
去らずに見にきてくれてる読者さんは、変わりもん、もとい(^^ゞ奇特なおかたでありまする。るる。


なにが書きたいんか、わからんようになってきたが、今朝、寝起きに思ったことを書いてみる。
なぜ書くのか。書きたいから。なぜ書きたいのか。書きたいという思いが起きてくるから。
思わんとこうとしても、思いは勝手に湧いてくる。どもならん。


呼吸もそうだ。呼吸「する」と言うけど、呼吸は自然に起きてくる。
眠ってるとき、呼吸「している人」はいない。人が呼吸「されている」。
意識して呼吸を止めたら苦しくなる。死んでしもたら、どもならん。


「書く」と言う行為もそれと同じで、書くと言う現象がその人に起こっている。
書いてる人は、ほんとはいない。あらゆる事象は全体の表現であるからして
この文章も、ほんとは白猫が書いているのではない。云々。


ワケわからんやないか!


と、怒って去って行った読者がまた一人。笑


読者は自然に怒っている。もとい、


すべては自然に起こっている。


おあとがよろしいようで。んでん。
[ 2015/06/16 16:15 ] satorix | CM(5)
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  • 言葉を外した世界

    最近、言葉を使うのがおっくうになり一人でボーッとしてることが多い。
    昨日、そんなことを書いたあとタイミングよくこの動画を見つけました。

    私たちがふだん見ているものは、ありのままの世界ではなく、言葉(観念)を通して見た
    トリックアートのようなものです。言葉を外したシンプルな世界を五感で感じてみると、
    目の前のなんでもないはずのものがすばらしく輝いて見える瞬間があります。

    言葉を外した世界は魔法の図書館です。



    中野真作さんも非二元を伝えておられるかたですが、語り口がやさしくおだやかで、
    聞いてるとなんとなく落ち着きます。癒しのエネルギーを感じてみてください。


    [ 2015/05/13 06:40 ] satorix | CM(0)
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  • "私"は存在しているのか

    このブログで度々紹介している非二元のメッセージについて話してる日本人女性の動画を見つけました。
    翻訳を介さないのでわかりやすく直に伝わってきます。

    非二元のメッセージのポイントは個人としての"私"はいない。
    "私と思っているもの"も含めて、すべては"現象"であり、起きることが起きているだけ、
    それらをコントロールしている主体はいないと言うことです。

    これまで見聞きしてきたスピリチュアルは、ほとんどが自我の幸せを追求するものだったので、
    個人を超えたところに究極の幸せがあるとする非二元のメッセージに惹きつけられました。

    「悟ったら悟った人はいなくなる」と言われるように、究極の幸せに目覚めたとき、
    それを楽しむ人もいなくなるので、良くも悪くも自分に愛着がある人には不向きですが、
    苦しみの原因である"自分"から自由になりたいと願う人にはおすすめの一話です。



    [ 2015/04/19 13:18 ] satorix | CM(0)
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  • 人生最大の謎



                 自分が誰か 知らないままで
                 わたしは 私を 生きている

                 本当のわたしに 気づかぬうちに
                 人生という "私の物語" は
                 やがて終わりをむかえる

                 泡のように生まれては消えてゆく
                 この "私という現象" が
                 私は不思議でたまらない




    [ 2015/02/10 13:11 ] satorix | CM(0)
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  • 輪廻転生の真実

    マハルシ





    『覚醒の炎〜プンジャジの教え』より抜粋

    *プンジャジ(パパジの愛称で親しまれたラマナ・マハルシの弟子)



    あるとき、私はガンジス河の岸辺に一人座っていた。
    そのとき、私は自分の輪廻転生の物語すべてを見たのだ。
    それがどのようにはじまり、異なった種の生命から生命へと転生していくのかを私は見ていた。

    その中で私はあらゆる種類の海洋生物、魚だけではなく、数知れない海中の生き物の生命を通り抜け、
    岩石としての生命、植物としての生命、動物としての生命を経て、人間としての生命にたどり着いた。
    そこには別の惑星での生命さえあった。私はそこで異なった身体と異なった心をもっていた。

    この過程が流れていく間、私はこれらの身体を通して生きてきたことを知っていた。
    だが、同時にガンジス河の岸辺に座っている自分にも気づいていたのだ。
    岸辺に座りながらこれらの生命の流転を見ていた私は、あたかも一つ一つそれぞれの
    生命の一生を体験しているかのように感じられた。

    これを説明することは不可能だ。だが、望みさえすれば今でもそのときに見たことを見ることができる。
    これとは別の機会に、私はより現在に近い人間としての生も見たことがある。

    この長い転生の過程の最後に、私は私の師ラマナ・マハルシの姿を見た。
    そして、あたかもそこにいるように彼が目の前に立って現われた瞬間、
    誕生の連鎖は終焉したのだ。

    さて、この出来事全体の奇妙な点は、
    私がこれらすべての何百万年もかけた生命の流れを再体験している間、
    ガンジス河の岸辺での時間の経過は一秒にも満たなかったということだ。

    真我に帰りついたとき、それまで体験してきた無数の転生における時間の経過は
    実在ではなかったということを、あなたは即座に理解する。
    それは一瞬の時のように見える。

    我が家に帰りついたとき、あなたはこの秘密を直接知って大笑いするだろう。
    体験している間、それはひじょうに長い時間に見える。だが終焉するとともに、
    それはほんの一瞬の想像がただ拡張されただけにすぎなかったということを知るのだ。





    今、私は自分の直接体験から、すべての現象が一瞬のうちに現われると言うことができる。
    これがあなたが時間を超えたときに明らかにされる秘密なのだ。

    それと同じことが夜中に起こる。夢の中で途方もない時間が流れたように感じられる。
    だが、目を覚ましてみると眠りについてからほんの数分しか経っていないことに気づく。
    夢の中で一生を過ごすこともできる。そして一生分の苦悩を味わうこともできるのだ。






    補足<白猫案>

    輪廻転生は自我の視点から見れば存在するが、実在である真我の視点から見ればない。
    輪廻転生するのは自我<心>なので、真我に目覚めるまでは転生という夢のサイクルは続く。
    というふうに理解しました。あくまでも白猫案です。詳しくはこちらを聞いてください。
    [ 2014/07/01 09:01 ] satorix | CM(0)
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  • 「信心銘」読めば悟りの泉湧く

         大いなる道は難しくない
         選り好みをせず
         愛することも憎むこともなければ
         すべてははっきりと明らかになる

         だがわずかでも分別をすれば
         天と地は遙かに隔たる
         真理を実現したければ
         賛成や反対の見解を抱いてはならない

         一つを嫌い一つを好むことは
         心の病だ
         物事の本質を理解しないとき
         心の平和は徒に乱される

         道は大いなる虚空のように完全で
         欠けたところも、余分なところもない
         ただ取捨選択するために
         物事の本質を見極められないだけだ

         外界に巻きこまれてはならない
         空という概念にもとらわれてはならない
         一なる境地に帰して、ただ静かにしていなさい
         そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る

         心の活動を止めようと努力しても
         その努力がさらなる活動をもたらす
         対極の一方を選んでとどまるかぎり
         一なるものを知ることはできない

         一なるものを知らなければ
         静動、正否ともにその自由な働きを失う
         物事の現実性を否定すればその現実性を見失い
         空の概念にしがみつけば空の原理を見失う

         話せば話すほど、考えれば考えるほど
         ますます真理から遠ざかるばかり
         話すことも考えることもやめなさい
         そうすれば知り得ないものは何もない

         根源に帰れば本質を会得する
         だが現われを追いかければ源を見失ってしまう
         一瞬にして悟れば
         現われも空も、ともに超越される

         空の世界に起こる変転変化を
         無知ゆえに人は実在と呼ぶ
         真理を追い求めてはならない
         ただ相対的な見方をやめなさい

         二元的な分別にとらわれて
         現われを追ってはならない
         わずかでも是非を区別すれば
         心の本質は失われてしまう

         すべての二元対立は一元から生じるが
         その一元にさえ執着してはならない
         心が生じなければ
         世界が背くことはない
         何も背くことがなければ
         すべてはあるがままだ

         分別心が起こらなければ、心は存在をやめる
         主体である心が消えれば、対象も消え去るように
         想いの対象が消えれば、想う主体も消え去る

         物事(対象)は主体(心)が存在するために対象となる
         心(主体)は物事(対象)が在るためにそのように在る
         その二つの相関関係を理解しなさい
         その根底にある実在は一つの空なのだ

         この空は相対を排斥せず
         すべての存在を差別のまま包みこむ
         粗雑と精妙を区別せずにいなさい
         そうすれば偏見に陥ることはない

         大いなる道に生きることは
         易しくも難しくもない
         だが視野の狭い人は恐れ疑い
         急げば急ぐほど遅れてしまう

         真理に執着すれば度を失い
         悟りという概念にさえ囚われて道に迷う
         すべてを放てば自然となり
         来ることも去ることもなくなる

         あるがままにまかせなさい
         そうすれば悠々自適に生きていける
         想いを働かせば、真理は隠され
         想いを止めれば、暗く澱んでしまう

         有念も無念も徒に精神を疲れさせるばかり
         そのどちらを好んでも避けてもならない
         一なるものを求めるなら
         感覚や思考さえ嫌ってはならない

         感覚や思考を完全に受け入れることは
         真の悟りと同じなのだ
         賢者は目的を求めて努力しない
         愚者は目的を求めるために己を縛る

         法(存在、現象)は一つであって多数ではない
         区別は無知の愛着から生じる
         心をもって真理を求めることは
         最大の過ちだ

         迷えば安心や不安が生じ
         悟れば好きも嫌いもなくなる
         すべての二元対立は
         自己中心の分別から生じる

         それらは夢まぼろし、空中の花
         つかもうとするだけ愚かなこと
         得も失も、是も非も
         すべて一度に放り出してしまえ

         もし心眼が眠らなければ
         すべての夢は自然に止む
         心が分別をしなければ
         存在は一なるものとしてあるがままに在る

         この深遠な神秘を理解すれば
         すべてのもつれは解きほどかれる
         千差万別の存在が平等に見られれば
         あるがままの自然の姿に帰りつく

         この原因も関係性もない状態では
         比較も類比もできない
         動を静と見なし、静の中に動を見なさい
         すると動も静も消え去る

         二元性が存在しなければ
         一なるものも在りえない
         この究極の境地には
         どんな法も描写もあてはまらない

         道と一つになった平等な心に
         自己中心的な計らいはない
         疑いも恐れも消え
         真理を信頼して生きるのだ

         束縛を一撃で断ち切り自由になれば
         印象はとどまらず、記憶すべきこともない
         すべては空、明らかにして自ずと輝き
         心を用いることもない

         想念、感情、知識で推し量れない
         このあるがままの世界には
         自己もなければ他己もない

         この実在と調和の内に在るには
         ただ「不二」と言うがいい
         この「不二」の中ですべては等しく
         すべては包みこまれる

         世界中の賢者たちは
         この根源的真理を体得している
         真理は時を超え
         絶対の今の一念は、そのままで永遠なのだ

         ここも空、そこも空
         だが無限の宇宙は常にあなたの目の前に在る

         極大と極小は異ならない
         境界を忘れ去り、区別を消し去れば
         存在も非存在も同じこと

         そうでなければ真理とはいえず
         守るべき価値もない

         すべては一つ
         一つはすべてだ
         このように悟るなら
         不完全を思い煩うこともない

         この真理を信頼し生きることが不二の道である
         不二と信頼は一体なのだから

         道は言語に絶している
         そこには昨日も明日も今日もないのだ




           中国禅三祖・僧燦鑑智(そうさんかんち)禅師 著
           リチャード・クラーク 翻訳/福間巌 和訳
    [ 2014/06/12 06:34 ] satorix | CM(2)
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  • 修練の落とし穴

    20代の頃からヨーガや瞑想に興味を持ち教室や研修会に通ってたことがあります。
    すわってする瞑想は思考が迷走するので、からだを動かすヨーガをすることにしました。
    動きに合わせながらゆっくり呼吸をすると心が静まるのを感じました。
    坐禅で言うところの調身・調息・調心です。

    こうした修練は一時的に心を落ち着けてくれますが、じっくり行うにはそれなりに時間がかかりますし、
    毎日続けなければあまり効果がありません。毎日しなければと思うとしんどくなってしまいますよね。
    修練の落とし穴です。

    もうひとつ思わぬ落とし穴があります。
    熱心に修練すればするほど自我(エゴ)が強くなるということです。
    なぜかと言うと、修練を"している"のは*自我だからです。

    *ここではアイデンティティと表現されてます。

    悟りを求めて努力すればするほど悟りから遠ざかる。
    ということを悟らせてくれるムージの講話です。


    [ 2014/06/11 14:00 ] satorix | CM(0)
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