思考の雲を観る

空

このところ仕事以外では物静かに過ごしている。思ったことを意識的に口に出さないでいると、思考が心のなかで音声化されたようにはっきりと自覚でき、自然に想念観察ができるという意外な効果あり。家人には「なんか怒ってんの?」って言われない程度に、静かな秋の夜長を楽しんでいる。久しぶりにOSHOの詩的な文章にふれてみた。



       
       あなたの内なる本性は
       内なる大空にほかならない
       雲は来ては去り
       惑星は生まれては死に
       星々は現われては消え去る
       しかし、あなたの内なる大空は同じままー
       触れられず、くもることなく、傷つくこともない
       われらは、その内なる空を<観照者>と呼ぶ
       それが瞑想のゴールだ

       内側に入り、内なる青空を楽しみなさい
       しかし、覚えておくことだ
       あなたが見ることのできる対象(もの)は何であれ
       それは、あなたではない
       思考を見ることができる
       それなら、あなたは思考ではない
       感情を見ることができる
       それなら、あなたは感情ではない
       夢、欲望、記憶、想像、投影を見ることはできる
       それなら、あなたはそういうものではない

       見られるものすべてを消し去ってゆきなさい
       そうすれば、いつの日か、とてつもない瞬間が起こる
       人生においてもっとも意義深い瞬間
       拒絶されるべきものが何も残されていない瞬間がー

       「見られるもの」すべてが消え失せ「見る者」しかいない
       その「見る者」こそが内なる青空、虚空だ
       それを知ることは怖れがなくなること
       それを知ることは愛に満ちていること
       それを知ることは神であること、不死であることだ


                    ー新瞑想法入門よりー
[ 2005/09/27 17:04 ] satorix | CM(0)
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  • アシュリーからの伝言

    通常の10倍の速さで年老いる病気がある。

    大きな瞳をくるくるさせながら、よく笑う女の子の名前はアシュリー。

    思春期になっても小さな子供くらいの背丈で、あるべきはずの髪はなく頬はやせて、

    歯も抜けている。見た目は老人みたいだけれど、しぐさや笑い声はかわいい女の子だ。

    彼女の口からこぼれ落ちる言葉たちは、まわりの人々を元気にする不思議な力を持っている。

    「体が痛いときもあるけど、それも人生の一部だと思ってるわ」「悲しいときは楽しかったことを思い出すの」

    「人生にはいっぱい楽しいことがあるから」「人の役に立つことをすると気持ちいいよ」などなど。


    アシュリー14歳、かけがえのない今日を生きている     デージー
    [ 2005/09/26 15:12 ] ことのは | CM(0)
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  • ブルーヘブン

    砂浜











         生命(いのち)の起源をたたえて
         海は
         その青い瞳でなにを
         見つめてきたのだろう
         悠久の時間(とき)のふところで
         海は
         なにを想ってきたのだろう

         そんな問いかけに
         答えようともせず
         黙って海は
         やさしさを育んでいる

         人類の傲慢さを
         醜さを
         過ちすらも
         包み込むかのように
         静かに呼吸する海よ

         僕達の青い楽園をなくさないでと
         風がささやく

         波は
         届かぬ想いを淋しがる
         海のため息かもしれない
    [ 2005/09/25 07:00 ] | CM(0)
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  • 地球をきれいにする洗剤

    毎日使っていると下水管や河川まできれいになるという夢のバイオ洗剤(とれるNo.1)が発売されました。特定の酵素と有益微生物を米ぬかとふすまに吸着、共生させて少量の天然油脂(菜種、大豆、ゴマ)を配合したもので、界面活性剤などの化学物質は一切含まれていません。洗濯、食器洗いはもとより、トイレ、お風呂掃除にも使え、一本で家中ピッカピカになるばかりか、なんと! シャンプーやハミガキにまで使えるという超すぐれものです。

    白猫も早速試してみましたが、シュッ!とスプレーして数分待ち、雑巾で拭き取るだけで汚れがきれいに落ちました。臭いをとる効果もあり、使えば使うほど水回りの環境がきれいになるので、これまでのように地球さんに悪いなぁと思う罪悪感もありません。

    商品は下記のショップで購入できますが、テレビで放送されてから、注文が殺到しているそうで、商品到着までに三週間ぐらいはかかるそうですが、値段もめちゃめちゃ安いので、マジおすすめです!! ちなみに白猫、ショップの回し者ではありませんので~(笑)
    興味のある方はいますぐクリック↓

                地球洗い隊
    [ 2005/09/24 07:29 ] 未分類 | CM(0)
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  • ビッグ・オーとの出会い

    ぼくを探しに
    ビッグ・オーとの出会い?続ぼくを探しに

    わたしのお気に入りの外国の絵本の紹介です^^)
    主人公のオー君が自分のカケラ君を探して旅に出るお話です。

    絵は白い画面に黒い線で描いただけのシンプルなもので、ストーリーもきわめてシンプルなのに含蓄の深いお話なんです。

    オー君は、円の一部が欠けています。完全なもうひとりの自分を求めて、カケラ君を探しに旅に出ます。オー君は陽気なヤツで♪ルンルンロンロン♪歌なんか歌いながらどんどん転がっていきます。欠けているのでつっかかってあまり速くは進めません。それで、ゆっくりお花の匂いを嗅いだり、かぶと虫と競争したり、ちょうちょと遊んだりしながら、山超え谷超え進んでいきます。

    いっとう最初に出会ったカケラ君は、ナマイキでした。「私はあなたのカケラなんかじゃないわよ。私は誰のカケラにもならないわ。私は私よ」なあんて、のたまいます。

    その次に出会ったカケラ君は、オー君には小さすぎました。
    その次に見つけたのは、四角ばっていてオー君の口には、ウグウグ、はまりませんでした。

    その次のはとんがり過ぎていて、オー君ののどにささってしまいました。
    ようやっとぴったりのやつを見つけたと思ったら、くわえ方がゆるくて落としてしまいました。アホッ!(笑) そ し て 最後に見つけたぴったり君を、こんどはしっかり口にくわえて帰ろうとしました。

    今や完全な○と化したオー君は、ビュンビュン猛スピードで転がることができます。だけどあまり速すぎて、お花の匂いを嗅ぐことも、かぶと虫と競争することも、ちょうちょと遊ぶこともできません。

    しょうがないので、歌でも歌おうと思いましたが、グググゴンゴン、口がふさがっているので歌うことができません。
    オー君は思いました。「やっぱり前のボクがいいやっ」って。それでまたカケラ君をはずして♪ルンルンロンロン♪転がっていきましたとさ。

    おしまい^^)
    と、まあこれだけのお話なんですが、何回読んでも愉快で笑ってしまいます。
    あとがきにこんなことが書いてあります。人は誰しも不完全なところを持っている。大人になるにつれ、その欠けたところも良しとして生きていくものだ。それをいつまでも欠けているものを追い求め続ける人がいて、その人達のことを芸術家と呼んだり、あるいはアメリカのヒッピーのように社会に適応できない人と呼んだりする。

    これを読んだ時、自分はどちらかと言うと後者に近いタイプかもしれないなとふと思いました。こういう類いの人達は歌を歌ったり、ギターを弾いたり、詩や童話を書くのが好きだそうです。このお話は読む人によっていろんな解釈ができます。たとえば、恋愛にあてはめてみれば理想のパートナーを見つけたと思いきや、やっぱり違ってたとか…。

    ちなみに私の場合は、自分にとっての一番のわくわくと言うのがカケラ君にあてはまるかもしれません。オー君はある意味では私そのものです。
    なんとなく私は子どもの頃から無意識にカケラ君の存在に気づいていたような気もするのです。"何かが欠けている"と言う漠然とした気持ちが一体どこからくるものなのか自覚できなくて、"生きていたくない"と思っていた冬の時代がありました。本当にやりたいことが分からなかったし、ただ消化していくだけの毎日が空しくて…。

    そして今もまだ子どもの頃よりは大きくなった"自分と言う同心円"の線上をくるくる回り続けているだけなのかもしれません。果てしない自分探しの旅です。あれでもないこれでもないとしつこく探し続け、探すのにくたびれてふと隣を見たら、私のカケラ君が笑ってた…なあんてね^^)

    ところであなたのカケラ君は? 
    [ 2005/09/23 07:00 ] 読書 | CM(0)
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  • 黄泉帰り

    木立大木立小









       きみがいなくなった
       消化しきれない悲しみを
       くりかえし くりかえし
       過ぎゆく時のまんなかで
       ひとりたたずみ
       来る日も 来る日も
       かみくだいていたよ

         
         きみがいなくなった
         あの日から
         ぼくの時計は
         止まったみたいだった
         時を刻む音だけが
         この心
         カチカチと 伝えてる


       きみがいなくなった
       あの日から
       ぼくは
       時間をとびこえた
       もうひとつの日常に
       住むようになった


         きみは永遠に
         ぼくの心のなかで
         生き続けているんだね     
    [ 2005/09/22 07:00 ] | CM(0)
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  • 狐狸庵先生への手紙

    昨夜、映画『黄泉がえり』を見たあと、なんとなく詩のノートを開けたら、娘が生きていた頃、遠藤周作先生に宛てた手紙の下書きが出てきた。先生もすでに黄泉の国に旅立たれてしまったが、あちらでも愉快に過ごしていらっしゃるだろうか。天国の先生へふたたび^^)


    拝啓
    遠藤周作先生

    はじめまして。私は遠藤先生のお書きになるものに、ことのほか心魅かれております一読者です。今、朝日新聞に連載中の"万華鏡"も毎週楽しみに拝読させていただいています。
    遠藤先生が、読者の方々の手紙を書斎で一生懸命ご覧になっている姿を想像したら、無性に私もお手紙を書きたくなってしまいました。何分悪筆にてワープロでしたためます失礼をどうかお許しください。

    私は現在入院中です。正確には私の娘が入院しているのですが、もう三年になります。"生活の挫折は人生のプラス" この先生のお言葉を座右の銘に日々を過ごしております。
    娘は脊髄神経マヒのため人工呼吸器をつけています。それまではまったく普通の生活を送っておりました。晴天の霹靂とはこのことかと思われ、出口の見えない真っ暗なトンネルに放り込まれたような心境で一年を過ごしました。
    しかし徐々に現実を受け容れられるようになり、娘も回復はしないまでもポータブルの呼吸器を使って外に散歩に行けるようになりました。ところが、少しずつ光が見えてきていた矢先に、再び試練が訪れたのです。

    一年前、私がほんの二十~三十分病室を不在にしていたすきに、そのことが起こりました。呼吸器の回路が外れるという思いがけない事故でした。娘は首から下は全く自由が利かないのです。発見された時すでに心臓は停止していました。幸い処置が早く一命はとりとめましたが、低酸素脳症で今も正常な意識が戻らぬままです。

    いわゆる臨死体験だったと思います。私は以前から死後の世界を確信しておりまして、その時エリザベス・キューブラロスの『死ぬ瞬間の子供達』について書かれた本を読みました。その中で、死を目前にした子供達が自分の死を暗示するような詩や絵を書き残していた事実が報告されていました。

    実は私の娘も当時幾つか童話を創っており、そのひとつ『ペンギンのたからさがし』と言うお話の中に、富士山に宝探しにでかけたペンギンとくまが、帰りに大きなほら穴を見つける場面があります。抜粋しますと"そのとき、うしろにでっかいほらあながあったので、入ってみました。それをくぐりぬけると、きれいな花畑がありました"このイメージはまさに臨死体験に共通するものかと思われます。もしかしたら、娘の魂にはこれから自分の身に起きることが分かっていたのかもしれません。

    もうひとつ、事故の前に不思議なことがありました。当時娘の主治医をしてくださっていた先生が病院を変わられることになり、お別れの記念にと先生が欲しがっていらしたトラピスト修道院のペンダント(不思議のメダイ)を、神父様にお願いして送っていただいたのです。ペンダントが届く少し前に娘が夢を見ました。ペンダントを先生にあげたらとても喜んでくれたことや、ペンダントに病気が治るようお願いしたら願いが叶って退院できたことなどを嬉しそうに話してくれました。ペンダントの裏には金色と銀色のキラキラ光るお水が入っていたそうです。

    そして、ほどなく届いたペンダントの裏側には、驚いたことにあの奇蹟の泉、ルルドの聖水が入っていました。これら一連のことが単なる偶然なのか、あるいは何かの暗示(共時性?)だったのかそれは分かりませんが、ただ、これらの体験を通して私はより見えない世界を意識するようになりました。大いなる意図が働いているような不思議な感覚でした。

    私は娘の臨死体験を通して私自身もまた精神的な意味での"死"を体験したような気がします。そして"再生"。一番どん底にいた時に、偶然?ある本に出会い、私の中で何かがすっかり変わってしまったと感じました。
    その本にはこんなことが書いてありました。人生に偶然はない。人生に無駄なものはない。すべての出来事には意味がある。ほかにも生まれ変わりや過去世のこと、人生の意味など、今まで分からなかったことが霧が晴れるように明確になっていくのを感じました。
    そして何よりも私の力となったのはどんな状況からでも学ぶことができると言う非常に肯定的な考え方でした。私は思いました。娘のこのことには隠された深い意味があるのだと。今はそれが何なのか分かりませんが、ただこのことだけははっきりと言えます。私は娘のおかげで多くの大切なことを学ばせてもらいました。

    これまでの私は、我が子ですら心から愛せないような傲慢で冷酷な人間でした。物事の暗い面ばかりを見て、与えられているものに感謝することも知りませんでした。子供が病気になった時も、犠牲を強いられているように感じ、子供にひどい仕打ちをしてきました。子供が呼吸器をつけた時、こんな辛い思いをしてまで生きる意義があるのだろうかと何度も思いました。しかし、私は間違っていました。生きていることは、それだけで素晴らしく価値のあることだと気づきました。そして、目が見えて耳が聞こえて話せて、呼吸ができることがどんなに有り難いことかも。

    娘の澄んだ瞳を見ているとさながら天使のようで、思わず「可愛いなぁ」と何度もつぶやいては看護婦さんに笑われているこの頃の私です。

    気づくのが遅すぎたと、もう後悔はしません。これからの人生は娘からもらったものを無駄にしないような生き方をしたいと思っています。自分の中で結晶化したものを何かの形で残していこうと考え、詩や童話などを書き始めました。それでお恥ずかしながらペンネームも考えました。南風れいこと言います。南風のように暖かく爽やかに生きたいとの想いと、れいこは娘の名前ですが、彼女はいつも私と一緒に生きていると言う想いを込めました。

    さて話は戻りますが、この本のタイトルは『BASHAR』と言います。最近ブームになっているチャネリングと言うものを収録したものです。たぶんご存じかと思いますが、チャネリングとは、もともとアメリカのカリフォルニア辺りで1960年代後半に発祥したニューエイジ運動と呼ばれるもののひとつです。日本でも最近注目を浴びるようになりましたが、この運動の火付け役になったのはあの有名な女優のシャーリー・マクレーンで、著書では『アウト・オン・ア・リム』などが翻訳で出ています。遠藤先生はUFOに興味がおありとのことですので、笑わずに聞いていただけるのではないかと、でも内心恐る恐る書いています。

    チャネリングとは一種の霊媒のようなものですが、日本でよくある死んだ人の霊を呼ぶとかのそんな暗いイメージとは全く様子が異なっています。チャネリングとひとことに言ってもいろいろあり一概には論じられませんが、先のバシャールに関しては私は絶賛しております。バシャールは、エササニと言う地球より300年進化している惑星に住んでいる宇宙人なのです。あ、遠藤先生、この先を読むのをやめようかとお思いになられたのでは?
    だんだん心配になってきました。でも、好奇心の旺盛な先生はきっと読んでくださると信じて続けます。

    バシャールは特定のチャネラーと呼ばれる人達を通じて、いろんな情報を提供してくれます。何故彼らが(バシャールの他にもいろんな宇宙意識と呼ばれる存在がいます)そんなことをするかと言うと、地球をサポートするためだと言っています。今地球はかつてない変革期を迎えていて私達の集合意識に起きている変化の波動が、電波のように宇宙に発信されているのだそうです。彼らの文明もかつてこの時期を通過した経験があるので、今私達に役立つ情報を伝えることでスムーズに変革がなされるように援助しているのだと。真偽はともあれ(彼ら自身も自分たちの存在を云々するより情報を重視して欲しいと言っています)その情報と言うのがとても素晴らしく、今まで信じてきた既成の価値観を根こそぎ変えてしまうような非常に強力なものなのです。

    そのおかげで、私は昔から人知を超えた大いなる力(神、仏、私はよく宇宙と言う言葉を使います)を信じていましたが、今はそのことを頭でなく心で感じられるようになりました。そして自分に起こることすべてをそのタイミングも含めて信頼できるようになりました。それは、ただ流されるのとは違い、毎瞬、毎瞬を楽しみながら与えられた状況を生かすような前向きな心の姿勢です。

    『BASHAR』は、ヴォイスと言う出版社から全部で三冊出ています。読めば読む程味の出る、まるでスルメのような本です。もしまだのようでしたら、先生に是非一度お試しいただきたく、このように熱心に宣伝してしまいました。

    長々と勝手なことばかり書いてまいりました。貴重なお時間をいただき、まことに申し訳ございませんでした。これからも素晴らしい作品を、心よりお待ち申し上げております。どうぞお体にご無理のありませんようにご活躍ください。"心あたたかな病院を願う"キャンペーンの方も頑張られてください。ありがとうございました。

    敬具                 
    追記

    この手紙は1992年頃に書いたものです。当時はバシャールにはまっていましたが、現在は離れています。しかしこの時点ではバシャールは私にとって希望の光でした。

    無能唱元さんいわく

     バイブルも論語も経もマルクスも ヨガも座禅もみな松葉杖

     決然と松葉杖をば放擲し 宇宙の中にわれ一人立たん

     おのれをば救うのはおのれの他になし 神も仏もみなまぼろしじゃ

     愛はなく憎しみもなく善くもなく 悪しきもなくて心安らか


        まだまだこのような境地にはなれませんが、まいっか=^o^=ぽ(笑)
    [ 2005/09/21 13:44 ] satorix | CM(0)
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