御室八十八カ所

薬師如来祠


仁和寺の裏手に四国八十八カ所のミニチュア版 御室八十八カ所があります。一時間くらいで回れる巡礼コースです。
不慣れなもので写真が思った位置にうまく入りません。画素数1600x1200にしたら大きくなりすぎました(^^;ゞ


御室めぐり展望
[ 2005/10/31 17:26 ] 京便り | CM(0)
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  • 光 の 道

                 一日に一度
                 昼と夜が出会う
                 黄昏の海は

                 一瞬の
                 光あふれて
                 その美しさに
                 言葉もなく
                 立ちつくす

                 水面(みなも)に
                 きらめく
                 光の道は
                 神様の描いた
                 天上の
                 バージンロード

                 いつか
                 なつかしい
                 故郷へと
                 魂がたどる道

    [ 2005/10/30 06:52 ] | CM(0)
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  • 夢の代理店

    都会 夕暮れの歩道を落ち葉が乾いた音をたてて転がっていく。木枯らしに肩をすくめながら、大地はジャンパーのポケットを右手でさぐった。

     100円硬貨が5枚。彼の全財産だった。1年前まで小さなデパートの宣伝部でコピーライターをしていた彼は、使い捨てのチラシのコピーを書きながら平凡な毎日を送っていた。

     そう。あの奇妙な広告主に会うまでは……。






     その男は、いまどき珍しく黒いマントをはおり、手には銀色のアタッシュケースを持っていた。端正なマスクに愛想のいい笑みを浮かべながらも、目には鋭い光を宿していた。差し出された名刺には、"ドリーム・エイジェンシィ"代表取締役「夢野 莫」と印刷されていた。

    「わが社は、皆様の夢をお預かりする仕事をしております。お預けいただいた夢がひと月ごとに大きくなる利点がございまして、定期にしていただくと、さらに効率よく……」

     男が四角いケースを開けると、中には通帳がわりの磁気カードが、びっしり収納されていた。カードに記された0から100までの数字のところどころに小さな穴があいていた。

    「数字はお客様の命の長さを表示したもので、夢の有効期限になっております。穴の位置で残りの年数がわかるのです。ところで、あなたも夢をお預けになりませんか?」

     大地の夢は物書きになることだった。これまで何度も作品を持って出版社を訪れたが無駄足だった。自分には才能がないのだと、いつしか諦めてしまった。

     男の話を聴いているうちに、再び希望が湧いてきた彼は、夢を預けてみる気になった。夢がふくらんだところで、もう一度チャレンジしてみようと思ったのだ。



     それから何ヶ月かして、預けていた夢を引き出そうと、"ドリーム・エイジェンシィ"を訪ねた彼は、渡されたカードを見て愕然とした。

     残り度数がほとんど0になっている!

     あわてて窓口の男に問いただすと、

    「お客様。お気の毒ですが、あなたの命の残り度数がありません。せっかくお預けになった夢が倍額になっておられましたのに残念なことです」

    「そんな! なんとかならないんですか。お願いしますよ」

    「ないことはないのですが……。それは、あなたの一生分の夢を諦めていただくしかないのです。夢のない人生を生きていけますか」

    「夢のない人生……」

     頭の中が真っ白になった。



     あれから一年。生きることを選択した彼は仕事も住み処も失い、目的もなく木枯らしの中をさまよい歩いていた。

     その時、背後で声がした。

    「お客様、夢をお貸し致しましょうか。たったの500円で結構ですよ」

     ふりむくと、黒いマントの男が口元に笑みをたたえて立っていた…。
    [ 2005/10/27 06:10 ] メルヘン | CM(0)
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  • インターネット

    日記がわりにと軽い気持ちでブログを始めたが、少ないけれど、見に来てくれる人がいると知り、だんだん読者を意識して書くようになった。匿名とは言えいろいろと自分のことを書くのは恥ずかしい気もするし、他のブログなどもいろいろ見ているうちに、ネットの世界はおもしろいけれど、あまり長くいる場所じゃないような、そんな気もし始めている。理由はうまく言えないけれど、、、

    それと、ここに掲載している詩やメルヘンはネットなど縁のなかった頃に書き溜めたものを、リメイクしたものばかりで、正直いまの自分とは幾分感性がずれているものもあります。なので全体としてまとまりがなく、読んでいる人は「このひとっていくつなの~??」って思ってるかも、、ですね?!(笑)

    でもね。

    大人はみんなむかしはこどもだった。

    私のなかにはこれまで生きてきた年齢の自分がたくさんいて、チャンネルを合わせるだけで、10才の女の子にもなれるし、思春期の少女にもなれるし、男の子にも猫にも、鬼太郎にだってなれる。それが私の特技のようなものだから、年齢なんかほんとはどうでもいいと思っているんだよね。社会ではやむなく大人を演じてる?けれど、書くときくらいは素のまんまの自分でいたい。

    そんなわけで、
    ここの容量がいっぱいになったら、ブログを卒業しようと思っていますが、まだまだ残量があるので、なくなるまで書き続けますので、よかったら見にきてくださいまし。
    コメントもお待ちしています^^)
    [ 2005/10/26 05:11 ] つれづれ | CM(0)
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  • 誇りは埃(ほこり)

    女装趣味のある森田健さんが、取材人から「もりけんさんはプライドを捨てているのですか?」とたずねられ(笑)、要約すると「わたしは『私は誰?』という根源的な問いに対するプライドが強いので、他のプライド、つまり、外見が男だとか女だとかいうことはどうでもよくなるのです」と答えていたが、妙に心地よい共感を覚えてしまった。

    じつは私にはあまりプライドとか誇りというものがない。人に誉められれば素直に嬉しいと思うけれど、だからと言って後生大事にその感情を握りしめていたいとは思わない。反対にけなされても、ふしぎなことにそれほど傷ついたとも感じなくなってきた。表面的な自分がどう思われるかより、自分が自分をどう感じているかのほうがだいじだと思う。

    プライドの高い人ほど劣等感が強く傷つきやすい。これは私の偏見かもしれないが、過去の栄光にしがみつくようにしながら、いまの自分を必死に支えようとしている人を見ると、逆に「プライドなんかない方が楽に生きられるのに」と思ってしまう。

    誇りとはエゴの埃のようなもの。エゴが消えれば、そこには埃は生まれない。価値観は人それぞれだから、プライドを持って生きるのも良しと思いつつ、私は埃少なく、ほっこり、ほこほこ♪猫生を生きていこうと思うのです^^)
    [ 2005/10/25 16:37 ] satorix | CM(0)
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  • 38万4400キロメートルの片思い

    ハロウィン

       明るすぎる都会の夜空に
       オニオンならぬ
       ムーンスライス
       涙のソルトふりかけて
       食べちゃいたいよな
       サラダ月夜


            ペッパーな気分で
            百万回
            愛してるって
            告白しても
            一人芝居のピエロは
            空しいだけさ


            Ah!
            ぼくは玉ネギ
            きみは月
            とびっきり
            エクセレントな
            片思い    
    [ 2005/10/23 06:38 ] | CM(0)
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  • 精神世界について

    私にとって精神世界はこの現実を生きるために必要不可欠な要素であると思っています。宗教から始まりヨーガ、瞑想、ニューエイジに興味を持ち、いろんな先生方の教えを見聞き実践してきましたが、なぜか同じ場所に長く居続けることができませんでした。現実から逃げるための口実として精神世界の教えを都合良く解釈していたこともありました。いまの自分にとって大切なのは特別な修業をすることではなく、ふつうの生活をしていくなかで精神世界の学びを深めていくことだと思うようになりました。

    引き続き高木悠鼓さんの『人をめぐる冒険』から、大変共感を覚えた部分を少し長くなりますが抜き書きさせていただきました。高木さんの高の字は旧字なのですがパソコンの辞書にないので悪しからずm(_ _)m



    ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~

     今から二十年ほど前、精神世界と出会ったときのことは今でも鮮明に覚えています。その頃は、自分のすべてが行き詰まっているように感じていた頃でした。そんなある日、何かおもしろい本を探すために書店に立ち寄って、今まで読んだことのない分野の本を買おうと思い、はじめて精神世界の本を何冊か買ったのです。それまで学校のテキスト以外に宗教や精神世界の本を読んだことがなかったにもかかわらず、はじめて自分で買って読んだ精神世界の本に私はひどく衝撃をうけ、自分の行き詰まりを打破するにはこの世界しかないと確信しました。それからの数年間、手に入るあらゆる宗教、心理学、精神世界の本を読み、各種の瞑想を行い、セラピーを受け、とても充実した日々でした。

     しかし同時に、瞑想やセラピーや、特定の修業の場に人は長くいるべきではないとも感じました。なぜなら、精神世界の修業とは結局のところ、あれこれの瞑想法やメソッドを修得することではなく、世の中で生きること、そして、生きている一瞬一瞬に自分を見つめていくことしかないとわかったからです。

     どれほど瞑想やメソッドや教師の力が強力なものであっても、日々の一瞬一瞬の気づき、学び、失敗、成功を地道に根気よく積み上げていく作業をしないと、精神世界はただの一時的な気晴らしに終わってしまう可能性があります。では、瞑想やメソッドを学ぶメリットとは何で、またなぜ導師や教師のところに人々が集まるのかといえば、多くの人々が集まることによって、一つのエネルギーの磁場が生まれて、それによってそこに参加した人々は大きな影響を受け、精神世界の道を歩いていく励ましと勇気を得ることができるからです。

     精神世界とかかわって数年たった二十代の終わり頃に、どういう人生が一番かっこよくて、自分が満足するのかということを真剣に考えたことがありました。たとえば、仕事に生きるキャリアウーマンとか、結婚していい母親になるとか、お金をたくさん儲ける人生とか、学問に生きる学者とか、自分に可能性のありそうな人生はすべて考えてみたものでした。それはまた同時に、自分は精神世界とのかかわりのなかで、最終的には何が得たいのかへの問いでもありました。

     結局出した結論は、自分が外側で何になって、また何を実現しても、完全には満足できず、最後には虚しさが残るだろうというものでした。なぜなら、外側のものは永遠には残らず、時がたてば、すべてなくなってしまうからです。では、何があれば、自分の人生に満足できるかといえば、永遠に残るものを得ることであると考えました。そして、もし永遠なるものを得ることができれば、そのことによって、自分の外側の状況がどうであれ、日々を怖れなく、平和に生きることができるだろうし、それこそ一番かっこいい人生であると確信したのです。その後、「永遠なるものとは、得るものではなく、気づくものである」ということを理解しましたが、どんな人生がかっこいいのかという確信は、今現在も変わることなく続いています。

    ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~


     そしていま、高木さんと同じ確信が私のなかでも変わることなく生まれ続けています。
    [ 2005/10/18 05:05 ] satorix | CM(0)
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