静かな大晦日

掃除も買い物もほぼ終わり今日は近くの氏神様に
お礼参りに行ってこようと思っています。
一年が無事に過ごせたことのお礼といつもしている
世界平和のお祈りをします。

あとは静かに大晦日の夜を待つのみです。
子どもの頃は両親が餅つきをするのが恒例で
つきたてのお餅をまるめるのが白猫の仕事でした。
マルだけじゃなくて動物の形にしたりとか(^^)
面白かったです。

田舎のお正月はなんにもなくてひっそりと
過ごしてたような気がします。
この頃はあまり見なくなった凧揚げなんかして
遊んでたなぁ。子どもの頃からいつもひとりで
遊んでました。

大人になってもみんなで集まって盛り上がる?のは
葬式と法事のときくらいか(笑)
これが苦手なんですよね。じつは(^^;
人間関係はちょっと寂しい猫生ではありますが、
あんまり気にしてない(笑)

そんななかでも長く生きてれば出会いもあるわけで
先日、十年来音信不通になっていたある人の近況を
たまたまインターネット上で知りました。
白猫が詩やメルヘンを書きはじめたのはその人に
出会ったのがきっかけです。

気まずい別れをしたまま二度と会うこともないだろうと
思っていました。念願の夢が実現し社会的にも家庭的にも
充実した暮らしぶりがうかがえました。
迷いましたが「お幸せに」のメッセージを贈ってみました。
すぐに返事がかえってきました。
「心がほっとするようなメッセージありがとうございます」
と書いてありました。

住所もメルアドも知らないのでもう会うこともないと
思いますが、わだかまっていたものが溶けたようで
よかったです。

すっきりした気持ちで新年を迎えられそうです。

来年はどんな出会いがあるかにゃぁ。

ではみなさまよいお年をにっこり
[ 2006/12/31 09:35 ] つれづれ | CM(0)
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  • 魔法のストーブ

    いちアラジンのストーブは


    にマッチで火をつけます


    さんあたると


    よん幸せになる
     魔法のストーブです=^_^=
    [ 2006/12/30 09:53 ] ミッキー | CM(0)
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  • なまこの時間

              うみべの
              なまこは
              ごーろごろ
              ねてばっかりの
              ヘンなやつ

              でもまてよ
              なまこには
              なまこの
              じかんが
              あるのかも

              はかれない
              じかんを
              のんびり
              ゆっくり
              いきてる
              のかも
              しれないな

              なまこは
              いったい
              どんなゆめを
              みてるんだろ
    [ 2006/12/29 08:11 ] | CM(0)
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  • 仕事納め

    今年最後の仕事を終えました。来年の仕事始めは十一日です。
    じつは自営でヘルパーの仕事(介護保険外)を始めました。
    休みも自分で決められるし、報告義務もないので気楽です。
    本格的には来年からと思っていますが、事務所を通じての仕事も
    時々入ってくるので焦らずに「ぼちぼちいこか」と思ってます。

    年が明けたらまずは名刺をつくろうと楽しみにしています。
    仕事絡みでなくとも名刺があったら便利ですよ。
    出先でいちいちメモらなくてもいいし、お葬式の時とかも使えるし。
    安く作ってくれる名刺屋さんもあるので主婦の方にもおすすめ。

    自営なんて言っても一時間1,200円なのでそんなに儲かりません(笑)
    一軒につき2~3時間ですから。掃除ばっかりのお宅もあってね
    けっこうしんどいです(^^;

    13年やってます。不器用なのでこれしかできません。
    昨日訪ねた利用者さんに「あなたが来るとほっとするわ」
    と言われました(^^)

    ありがたいことです。
    社交辞令だとしても嬉しかったです。
    そんなわけで来年も顔晴りまっす!!
    [ 2006/12/28 19:56 ] 日記 | CM(0)
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  • 真 実

            真実はひとつと言うけれど
            ほんとにそうなんだろうか

            どこかのエライ先生が
            言ってたからって
            信じてもいいんだろうか

            世界には70億の窓がある
            見える景色も違うはず

            きみの真実と        
            ぼくの真実は

            違っていても
            いいんじゃないの
            
            真実は人の数だけ
            あるんだよ
    [ 2006/12/28 07:26 ] | CM(0)
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  • ほどほどが好き

    白猫には貫くべき「信」念がない。芯がないからふにゃふにゃしている。
    でもコンニャクよりは腰がある(笑) 

    信念と言えば世の中にはいろいろなモノの見方があるものだ。
    なにを信じるかによって幸せになったり逆に不幸になったりもする。
    大なり小なり人はなにかを信じている。
    というか信じないでは生きられない。
    たとえば雨が降っているのに傘をささなければずぶ濡れになる。
    空から植木鉢が降ってきたら、よけなければケガをするなど、
    物理の法則は信じないわけにはいかないだろう。

    心理など目に見えない世界の法則は、物理のように
    「こうすればこうなる」とは断定できないけれど、
    知っていれば役に立つ見方、捉え方があるとは思う。
    宗教などもひとつの見方、捉え方。
    斎藤一人さんも小林正観さんも、はづき虹映さんも、津留晃一さんも、
    ひとつの見方、捉え方と思っている。
    共感はするけれど「これでなければ」という思い入れはない。

    スピリチュアルな現象も同じ。
    どんな奇跡が他人に起ころうと、自分に体験がなければ
    心底から信じられない。半信半疑が正直な気持ち。
    水の結晶の実験でも疑問視されていたように、
    人は自分の見たい現実を創造しているかもしれないのだから、
    逆に自分に奇跡が起きたからと言って、
    他人にも同じことが起きるとは思わない。

    ひとつの信念に凝り固まることは、
    戦争の歴史を振り返れば分かるように、
    一歩間違えば危険な側面もある。
    森先生が言われるように思想においても
    「多様性」が健全な社会のバロメーターなのかも。

    どんなにすばらしい信念でも、みんな同じ答えはひとつの社会を
    想像したらなんだか気持ち悪い。

    なにごともほどほどが好きな白猫は、どんな信念信条にも
    半信半疑のスタンスで、ほどほどの猫生を生きている。


      コンニャク、おまっとさん▲>^)はふぅ~
    [ 2006/12/28 07:25 ] つれづれ | CM(0)
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  • 闘う哲学者

    醜い日本の私

    哲学者の中島義道氏が好きだ。文章のそこかしこに自分と同じ感性を嗅ぎつけ、思わず「にんまり」してしまう。『醜い日本の私』も予想どおり面白かった。本の帯には「美しい国」が好きな人には、読んで頂かなくても結構です。と書いてある(笑) どこかの首相に読んでもらいたい激辛の日本文化論である。

    本を開けると「ゴミ溜めのような街」と題して、東京の某商店街の写真が載っている。建物にはいたるところに看板が取り付けられ、街灯の支柱にはプラスチック製の花が飾られ、頭上には電線がとぐろを巻いている、、どこにでもある駅前商店街の風景が筆者は堪え難いと訴えている。

    観光都市京都でも事情は同じで、美しい寺院を一歩外に出るとごちゃごちゃした街の風景が目に飛び込んでくる。筆者はかつて外国人も加えた同志たちと「京都の都市景観を考える会」というのを発足させたのだと言う。商店街の原色の巨大な看板や垂れ流しの放送、細い路地に突き刺さっている巨大なコンクリートの電柱を除去する目的で、平等院の住職や鞍馬寺の住職にも会いに行き賛同を得たらしい。言われてみれば鞍馬山の広大な境内には自動販売機がひとつもない。そんな経緯があったのかと思った。

    地元京都新聞も記事にしてくれたが、数回の会合のあと、この会は立ち消えになったそうだ。

    理由はこうした「改革」を京都のほとんどの市民が望んでいないから。

    お寺の美と街の汚さが違和感なく共存している日本人の感受性。

    いかなる矛盾も鋭く突っこむ筆者は、こんな実例も挙げていた。

    京都の住宅地の真ん中に高層マンションを建てる計画があり、近所の住民が猛反対しているとの噂を聞き、現場を訪れた筆者は唖然とする。そこは「マンション反対」の旗竿や看板や貼り紙の洪水だったのだそうだ。景観を守ろうとしている住民が景観を壊している矛盾。

    いくら「おかしい」と訴えても、大勢には逆らえない。中島氏はこれを感受性のマジョリティ(多数派)による感受性のマイノリティ(少数派)の排除、圧殺と述べている。マジョリティは、快、不快は各人によって様々であるという見解を持ち、かつ表明しながらも、統計的に多数の快、不快を「正常な」感情として認め、それから外れる感情を「異常な」感情として切り捨ててしまうとの論。

    なにかのたとえ話にあったが、狂人を収容している獄舎に一人だけ正常者が入れられた。話も通じず異様な言動をする集団のなかで新参者はだんだん精神に異常をきたしていった。そして周囲と同じ狂人になってからは、まわりに溶け込み恍惚とした獄中生活を送っていた。そのあと薬かなにかで元の正常な状態に戻ったとき、彼は気が狂わんばかりの心境になったと言う。

    狂った集団の中では正常者は異常者になり、異常者が正常者になる。集団を国に置き換えてみればどうなるか。マジョリティが正しいとはもはや言えまい。なにが正常でなにが異常かも微妙なところ。いまの世の中を見ていると正常と異常の境界線にいる人が増えているような気がしてならない。

    氏の鋭い指摘は街の景観だけでなく、駅や街頭でやかましく鳴り響くアナウンスや音楽、「ポイ捨てをやめましょう」など町の広報にまで及ぶ。サービス業界の言葉遣いや態度に関しても厳しいお叱りが続く。コンビニやファーストフード店、ホテル、銀行、航空会社に至るまで、定型化された礼儀正しさの裏にある「嘘」を見透かさずいられない筆者は、かくして、戦車のごとく気炎を吐きながら闘う哲学者となる。
    にゃんにゃん。


    失礼しましたm(_ _)m


    文章も顔写真も一見コワそうな中島氏である。しかし大衆に迎合せず、本当のことを言う御仁だと白猫は思っている。「それを言っちゃあおしまいよ」という暗黙の了解域に踏み込むが故に「嫌われ者」になるのも厭わない。そんな潔さがかえって気持ちいい。

    この社会には「本音」と「建前」がある。本当のことばかり言っていては人間関係がぎくしゃくするし、世間を円滑に渡っていくことができないのも事実。

    そんななかで、自分の感受性にとことんこだわり、それを変えようとしない。いや「変えたくない」と言い切る筆者は、ある意味で真正直、別の意味では不器用なのかもしれない。でもいいじゃない。そんな人がいたって。

    大方の人は心のなかで変だな思っていても、口に出さずに「なあなあ」で妥協しながら生きている。ほんとのことを言うのはこわい。つまはじきになるのがこわい。そんな恐れを持っている。我また然り。時々そんな自分が善良な白猫の皮を被った嘘つき狐(キツネごめん)に思えることがある。

    中島氏の本を読むと、心の内に隠している「偽善」を目の前に突きつけられる快感がある。

    この本の他には『うるさい日本の私』『人生を"半分"降りる』『働くことがイヤな人のための本』『孤独について』『人を"嫌う"ということ』などを読んだ。どれも面白かった。

    辛口がお好きな方におすすめ☆☆
    [ 2006/12/27 07:30 ] 読書 | CM(0)
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