野に咲くもの


野に咲きて


ひとの心を


なぐさめる


自然にまさる


ヒーラーはなし


[ 2009/04/30 09:01 ] 花便り | CM(0)
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  • よっしゃ



    中浜稔展を見に祇園へ行ってきました。
    帰りに白川南通りを歩いてきました。



    変わった名前のお店を見つけました。

    どこにあるか探してみてください(^▽^)
    [ 2009/04/29 18:51 ] 日記 | CM(2)
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  • railway


    [ 2009/04/28 07:04 ] 写真 | CM(0)
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  • 言葉のなきがら



            伝わらなかった言葉のなきがらは
            どこに埋めればいいのでせう
            届かなかった想いのぬけがらは
            どこに捨てればいいのでせう


            伝わらなかった言葉のなきがらは
            土にもどしてやりませう
            捨て場のない想いといっしょに
            大地にかえしてやりませう


            死んだ言葉のなきがらは
            虫や草木の肥やしになって
            春には花を咲かせるでせう


            言葉も想いもわたくしも
            巡りめぐるいのちのなかで
            生かされ生きてゆくでせう


    [ 2009/04/27 10:31 ] | CM(0)
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  • 侘の庭


    [ 2009/04/26 08:37 ] 写真 | CM(2)
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  • rainy day



    大雨で肌寒い一日でした。
    楓の花に雨粒(^^)
    [ 2009/04/25 18:37 ] 花便り | CM(0)
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  • 霊はあるのかないのか

    新聞に江原啓之さんの講座の案内が出ていた。
    江原さんと言えば人の守護霊やオーラを霊視したり、
    霊とお話ができる霊感の持ち主だと思っていた。


    いた、と書いたのは、
    霊についての自分の考えが変わったので、
    江原さんに対する見方も変わったからである。


    白猫はエハラーではないけれど、何冊か本も読んでるし
    テレビの「天国からの手紙」に涙したこともあり、
    霊というものがあるのだと信じていた。


    生まれ変わりもあると思っていて、魂は何度も繰り返し
    この世に生まれながら成長してゆくのだと信じていた。
    だが、最近になって、この定説?に疑問を感じ始めた。


    雲黒斎さんは「alarm clock」のなかで、
    人の一生は雲から生まれた雨粒が地面に落ちるまでの間を指し、
    地面に落ちた雨粒は蒸発して雲になり、再び地上に落ちてくる。
    それの繰り返しだと言われていた。


    一個一個の雨粒は生きているあいだは個性を持っているが、
    死んだらいろんな人の死とミックスされて、
    また別の個性を持った雨粒として生まれてくるのだと。


    循環する「いのち」はあるけれど、
    継続する「私の魂」というのはない、
    という意味だと思う。


    そういった意味で、生まれ変わりはあると言えばある、
    ないと言えばないということになる。


    江原さんが霊視しているという霊についても、
    あると言えばあるし、ないと言えばないと、
    言えるのではないだろうか。


    苫米地英人という脳機能学者の著書によると、
    霊は情報空間(仮想空間=マトリックス)には存在するが、
    実体は空であると書かれていた。


    お釈迦様も霊魂の存在を否定していると言う。
    一切皆空ということは、自我も霊も実体がなく、
    死んだらなくなる(全体に溶け込む)からではないか。


    私の命 → 命が私


    日本には昔から霊が祟るという思想があり、
    先祖供養を重んじる風習がいまも根強く残っているが、
    霊がいないとなるとお寺さんも商売あがったりになるので、
    霊にはいてもらわないと困るのだろう。


    お寺さんとは違った意味で、
    身近な人が亡くなった場合、霊になってどこかで生きてて?
    ほしいという気持ちは心情的にはよく分かる。
    お墓には亡くなった人はいないと思いながら墓参りに行くのは、
    そんな気持ちがあるからかもしれない。


    日本人の多くが亡くなっても故人の霊があると信じていれば、
    苫米地さんの言う情報空間に霊はいるのかもしれない。


    これは白猫の単なる空想にすぎないが、
    霊というのは、一種の「情報」なのではないかと思っている。
    生前の思考や感情などが、空間になんらかの情報として
    記録されているのではないかと。


    それは故人の残り香のようなもので実体はないけれど、
    信じる人にはリアルに感じられるものなのかもしれない。
    霊能者というのは情報を読みとる能力のある人か、
    あるいはウソツキか、、、


    ちなみに苫米地さんの『洗脳』という本に江原さんについて
    こんなエピソードが書かれていた。


    苫米地さんの知人が江原さんに心霊写真を送ったそうだ。
    家族の後ろに見知らぬ手が写っていた。
    江原さんはその写真をテレビで取り上げ、
    「これは大変です。すぐにお祓いしなければなりません」
    と言ったそうだが、
    その手は知人の兄が悪戯で出したものだった、という話だ。


    これだけで、江原さんがウソツキだと言うつもりはないが、
    みなさんご存知のようにテレビにはやらせが多いので、
    なにごとも鵜呑みにしないほうがいいと思う。


    結論として、
    霊はあるのか、ないのかは、
    死んでみないとわからない。


    ということで、
    霊の話はこれにておしまい!



    [ 2009/04/25 07:49 ] satorix | CM(2)
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