人生は○○○である

スピ系のブログでよく使われる言葉に「人生はゲームである」というのがあります。
目覚めた人の目から見ると、そういうふうに見えるんだと思いますが、
普通の人には、ちょっと抵抗のある言葉だなあと感じています。


世の中にはいろんな立場の人がいます。
そう書いてるブログ主のように恵まれた生活環境にいる人ばかりではありません。
厳しい現実を必死で生きている人がこの言葉を聞いたらどんな気持ちになるでしょう。
腹立たしく感じたり、傷ついたりする人もいるかもしれません。


人生を演劇やドラマにたとえることがあるように、
人生をゲームにたとえることが悪いとは思いませんが、
少なくとも自分以外の人に向かって言うべき言葉ではないと、私は思います。


他にも「人生は冗談である」とか、「どんな出来事も人生のネタ。楽しもう!」とか
書いてるブロガーもいました。その人は、自分の子どもが事故や病気で突然死んでも、
そう言えるのかしらと思いました。


ブログの読者が、『人の命を預かる医師が「人生は冗談、深刻にならずに」と生きていたら怖いです』とコメントしていましたが、白猫も同感です。


病気で苦しんでいるお年寄りに、「人生は冗談」とは冗談でも言えませんもの(^^;


魂の成長度は人それぞれです。
幼稚園の子どもに微分積分の話をしても理解できないように、
究極の真理は、体験したことがない人には絵に描いた餅でしかなく、
かえって成長の妨げになるんじゃないか、と思うこのごろです。


青木新門さんの『納棺夫日記』に次のような文章がありました。


「…手を伸ばせば届く程度に前を行く人が最も頼りになる。
その人が前にいるだけで、安心して進める。

仏は前に進み過ぎている。

親鸞には、少し前を行くよき人(法然)がいた。

末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。

きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、

側にいるだけでいい」




魂の学びの道を行く人にとって、頼りになるのは、はるか向こうにいる人ではなく、
自分の少し前を歩いている人かもしれない。


苦しみ、もがいている人に、究極の悟りを説いても救いにならず、
逆にその人を苦しめるだけかもしれないと思うようになりました。


言葉は薬にも毒にもなります。


影響力のあるブロガーさんは、言葉の取り扱いには充分お気をつけください。
直接コメントしそびれたので、ここに書いてみました。
負け猫の遠吠えか(^^;笑
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[ 2011/03/05 09:07 ] satorix | CM(2)
  • EDIT 


  • 「許す」「手放す」もよく聞く言葉ですね。

    私はよく怒るんですけど、人に対して憎しみを感じたことはあまりないです。
    一瞬は感じたとしても、時がたつと忘れてしまいます。

    どんな感情もいい悪いはないです。
    無理に手放さなくてもいいと思いますよ。

    許せるまで待とうほととぎす^^
    [ 2011/03/05 18:54 ] [ 編集 ]

    人生はなんだろう。

    私の過去の経験的なこと。

    「許しなさい。」
    「手放しなさい。」

    よく簡単に言われるのですが、
    では、あなた方はそういう時を経験して、
    それを手放しましたか?

    私に助言する人に叫びたい。

    [ 2011/03/05 16:44 ] [ 編集 ]

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