哀しみの影には愛が隠れている

「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」


図書館で見かけた一冊の本のタイトルに目を引かれた。
写真家の藤原新也さんの本だった。


藤原さんがこれまでの人生で出会った人々とのエピソードが
短編小説風に語られている。


実話なんだけど、心象風景を描いているような味わいがあり、
写真で言うと、ソフトフォーカスの写真を眺めているような、
なんとも言えず余韻の残る文章だった。


"余韻"を感じられるのはおそらく人間だけだろう。
本人にしかわからない感情のゆらぎと言うか、
言葉にできないフィーリングがそれである。


人は様々な出会いと別れのなかで、色々な心のゆらぎを感じ重ねながら、
人生のキャンバスに他にはない、その人独自の彩色をほどこしていく。
明るかろうが、暗かろうが、どちらも等しく価値があるのだ。


あとがきの一言に、心をゆさぶられた。


人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、
その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、
私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。


哀しみもまた豊かさなのである。


なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。
そしてまたそれは人の中に必ずなくてはならぬ負の聖火だからだ。




哀しみもまた豊かさなのである。
深い言葉だと思った。
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[ 2011/07/05 12:51 ] ことのは | CM(0)
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