ホームレス歌人

ホームレス作家、ホームレス中学生、ホームレス歌人など、
ホームレスという言葉を見ると、なぜか目が吸い寄せられたようになる。


『ホームレス歌人のいた冬』三山 喬


数ヵ月前に新聞広告で目にしたこの本にも興味を惹かれ図書館で予約しておいた。
館のネットサービスに登録すると、本の検索も予約も自宅のパソコンでできる。
予約待ちがある場合、順番が来たらメールで連絡してくれるのでありがたい。


この本は元朝日新聞の記者でフリーライターをしている著者が、
日雇い労働者が集まる横浜市寿町、いわゆるドヤ街にいると思われる
一人の路上生活者を9ヵ月に渡り追跡取材したルポルタージュである。


2008年の暮れだった。
朝日新聞の歌壇に住所にホームレスと記した投稿者がいた。
その人の名は公田耕一と言う。



(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ



この句を皮切りに、毎週のように公田氏の作品が掲載されるようになり、
歌壇欄にも読者欄にも共感や応援の投稿が寄せられるようになった。
その後、朝日の記事や天声人語にも取りあげられ、テレビでも報じられたそうだ。


いつだったか、朝日の社会面に《ホームレス歌人さん 連絡求厶》の記事が
載っていたのを私も覚えているが、本人から連絡はなかったという。


一躍有名になった公田氏だったが、初めての掲載から9ヵ月後、
毎週あった投稿が途絶え、ぱったりと消息を絶ってしまった。


そう言えば、こんな歌があった。



胸を病み医療保護受けドヤ街の柩のような一室にいる



安否が気遣われるなか、公田氏は読者の心にいまなお残る謎の人物となった。


99.jpg


ホームレス歌人の歌が、これほど多くの読者の反響を呼んだのはなぜだろう。
失業者が溢れるいまの時代、自分だって一歩間違えばホームレスになるかもしれない、
そんな漠然とした不安が人々の心のどこかにあるからかもしれない。


フリーで仕事をしている著者自身も、公田氏の身の上に「明日は我が身」
の心境を重ねて見ていると書かれていた。


私がホームレスの言葉に目を引かれるのも、似たような理由からかもしれない。


ありがたいことに住む家はあるけれど、魂の住み処がないと感じながら生きてきた。
現実生活では、正社員として働いた経験は数年しかなく、時給労働で今日まできた。
夫に扶養されているから人並みの暮らしができているが、
年をとって一人になったときのことを考えると不安になる。


が、明日のことを心配する余裕などない寿町の人々の暮らしに比べれば、
そんなものは不安のうちにも入らない。そこには、教育を受けられず、
いまだに読み書きができない人がいると言う。
読み書きができなければ、仕事もなかなか見つかるまい。


格差社会の底辺を生きる人々の現実を知るにつけ、
自分の甘さを目の前に突きつけられたようでショックだったが、
本書に何度か出てくるこの言葉がまさに救いとなった。


表現のできる人は幸せだ。


どん底の状況にあっても、自分を失わずにいられる何かがあれば、
人はそれを心の拠り所にして生きていけるのではないかと思う。
公田氏にとってのそれは短歌だったのではないか。


画家の星野富弘さんのように、事故や病気がきっかけで創作を始めた人は多いが、
自己の苦しみを見つめ、それをなんらかの形で表現することで、
苦しみを生きる力に変えてゆくことができる。


幸いにも私には読み書きができる。
拙いながらもこうして文章を綴ることもできる。
表現できることの幸せをあらためてかみしめながら、
書ける間は書き続けたいと思った。


印象に残っている公田さんの作品をもう一句。



百均の『赤いきつね』と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞



結局、寿町で公田さんは見つからなかった(電話で声を聞いた人はいた)そうだが、
どこかで、いまも元気で短歌をつくっているかもしれない。というニュアンスで
本の最後はしめくくられていた。そうであってほしいと願う。


ちなみに公田はくでんと読むそうだ。
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[ 2011/07/30 19:12 ] 読書 | CM(0)
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