自我は↑のようなもの

養老孟司さんが環境問題についての対談で、おもしろいことを言ってました。
そもそも環境というものができたのは、「自分をたてた」からで、
それをやっているのは私たちの脳みそなんだと。


「自分をたてる」とは、自分を立ち上げるということ。
つまり、自意識(自我)を持つ、自分を起点に世界を見る
というような意味かと思います。


自然と共に暮らしていた昔の人は、環境という概念自体がなかったんじゃないか。
田んぼも大気も自分の一部で、自分と離れてあるもんじゃないと先生は言います。


自分と田んぼの境界線が薄いというか、その分、昔の人は自我も薄かったのかなと、
これは白猫の勝手な想像です。


ちなみに今の学生さんに「田んぼは将来の君だ」と言っても通じないそうです。
まあ、いきなりそんなこと言われても、ピンとこないと思いますが。笑


養老先生が言いたいのはこういうことです。
田んぼでとれたお米を食べると体になるから、
田は自分の一部。空気もなければ死んでしまう。
だから、空気も自分の一部ということです。


死んだら土に返ると、昔の人は思ってた。ごく自然なこととして。


白猫も死んだら土に返りたいですけど、
骨ツボに入れられたら返れませんよね。
紙の骨ツボにしてもらおう。
なかったら紙袋でいいや。笑


26.jpg27.jpg


自我についても、おもしろいことを言われてました。
たとえば、世界を一枚の地図だとすると、自分というのは
現在地を示す矢印(↑)のようなものだと。


↑をつけたとたんに、自分と自分じゃないものに分かれる。
つまり、自と他は同時に生まれるのです。


自と他という分離感のない世界すなわち、
↑がとれた状態が悟りの世界だということです。


自我なんてものは地図上の↑みたいなもん。
そう思うと気が楽になりますよね。
なりませんか。そうですか。笑


自我について、
人生上昇塾の安達さんが深おもしろい話をされています。
ちょいマニアックですが悟り系の話が好きな方どうぞ。


「二つの世界」前編

「二つの世界」後編
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[ 2011/09/04 09:44 ] satorix | CM(2)
  • EDIT 


  • ハーモンさんへ

    すてきなご感想ありがとうございます。
    あ、お歳は知りませんので、ご安心を(^▽^)

    まあ、昔の人も今と同じで自我の強い人もいはったと思いますが、
    福島のかたがたのように、
    地元の海や山や牛や田畑と共に生きてきはったような人は、
    いろんなものに"生かされている"という気持ちは
    強かったかもしれませんね。

    そういう自然に対する感謝の気持ちがなくなっていって、
    経済発展のために自然破壊を続けてきた結果、世界じゅうで自然災害が増え、
    原発事故につながってしまったのかなあと思っています。

    ちなみに田んぼ^^大好きです。
    [ 2011/09/05 09:41 ] [ 編集 ]

    田んぼは将来の君だ

    私はこの言葉すごく理解出来るような気がします
    歳だから? って言わないように・・・(^^:
    食文化は大事ですってことですよね
    昔の人って 自分も他人も自然も
    いろんなものに愛しさとか怖れとかを持っていたような気がする
    私も含め今の人は 自己愛は強めだけど
    他のもの 自分以外には愛しさ 怖れみたいなものが
    薄い気がする 私的感想です
    (偉そうに言ってるように見えたら許して下さいね)m(__)m
    [ 2011/09/04 23:27 ] [ 編集 ]

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