長生きとご臨終

長生きはしんどい。
高齢者の日常を見ているとそう思う。
昔と違い食べ物に不自由がなくなり、
医療のおかげで人為的に長生きが可能になったが、
はたしてそれが幸せなことなのか疑問に感じる現実がある。


人生50年の時代は老後の不安を感じる間もなく寿命がきて、
病気で医療に関わる期間も短かったにちがいない。
亡くなるのも病院でなく在宅死が多かった。


生物学的には生殖期を過ぎた動物は死ぬのがあたりまえ、
と言うと語弊があるなら自然の摂理だと言う。
生物学者の本川達雄さんの本の受け売りだ。



長生きが



動物の生きる目的は、おおざっぱに言うと子孫を残すためなので、
自然界の動物は生殖活動を終えるとおおむね寿命が尽きるのだが、
人間だけが例外だと言うわけだ。


年寄り無用論かと反発を覚える人もあるかもしれないが、言われてみれば、
人間も動物の一種なのだから、そういう見かたもできると思った。


「いのち(人命)は地球より重い」という言葉にどことなく違和感を覚えるのは、
地球上の生物で人間だけが特別というニュアンスをそこに感じるからかもしれない。
人間も他の動物も子孫を残して死んでいくことに違いはない。


生殖活動だけが生の目的だと思うとむなしい気もするが、
(独身の人や子どものいない人はなおさらだろう)
残りの人生はおまけと思うと、生に執着する気持ちも薄らぎ
気が楽になったことも事実だ。


気が楽になったついでに、
著者がつくった「おまけの人生音頭」を歌ってみよう。




一、むかしゃ 人間五十年
  今じゃ 人生八十年
  ついたついたよ おまけがついた
  何に使おか 何に使おか
  このおまけ



二、老いと若いは 時間も違う
  時間違えば 世界も違う
  キッパリと 別だと けじめをつけて
  楽しもうじゃないか 二つの人生
  それぞれに



三、速いばかりが 能じゃない
  便利 移り気 薄っぺら
  こくが出るには 時間がかかる
  白髪 しみ しわ 白髪 しみ しわ
  だてじゃない  



四、天気ばかりじゃ 草木も枯れる
  元気ばかりじゃ 能天気
  老いも病も 心のこやし
  真に知恵ある 真に知恵ある
  人つくる



五、若い時には 遺伝子の奴隷
  恋愛 子づくり 家づくり
  年季明けたら くびきもとれて
  晴れて自由の 晴れて自由の
  時がくる



六、他人のことなど 考えぬ
  遺伝子利己的 近視眼
  そんなけちな了見 さらりと捨てて
  遠く未来を 広く社会を
  考える



七、働きつづけよ 動けるかぎり
  お役に立ちましょ みんなのために
  おまけの時間は もらいもの
  感謝しながら 使おうじゃないか
  ありがとう






おまけの人生の終点は、幸せなご臨終である。
『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一先生の本を読んだ。



幸せなご臨終



死ぬときに医療はいらないとする考え方には共感するものがある。
助かる見込みのない高齢の患者にも等しく濃厚な医療を施すことで、
苦しみを長引かしている今の医療に中村先生は疑問を投げかけている。


自然界の動物は口からものが食べられなくなったときが寿命である。
本来なら人間もそうあるのが自然だと思うが、死は忌むべきもので
生きることだけを尊ぶ価値観が人を容易に死なせてくれない。


医療とは治療するだけでなく、患者の苦痛をとるのがしごとではないのか。
亡くなっていく人の苦痛を緩和し、安らかに逝かせる看取りの医療が
あってほしいと切に願う。


自分のことで言えば、あまり長生きしたくはないと思っている。
身の回りのことが自分でできなくなったら死にどきだ。


母のように独りで逝くのも悪くないと思うが、いつどんな死に方をするかは
それぞれの「縁」によるものだと中村先生は言われている。



最近は「安らかに死にたい」が大流行のようだが、これだって、
そのときどきの縁によって決まるものであり、望んで得られるというものではない。

だいたい、死に方にいいとか悪いというのはないはずで、安らかであろうが
のたうちまわった末であろうが、それはそれで黙っていただくしかないと思っている。

死に方と死ぬ時期は、その人のもつ因とそのときの縁によって決まるものである。
よく、七転八倒の苦しみの果て死んだ人に対し、前世か現世で犯したことの
報いであるかのようにいわれるが、わたしはそうは思わない。

たとえば、がんの激痛で苦しむ場合など、放射線や大量の抗がん剤によって、
不用意にがん細胞をいためつけたとか、食がすすまないといって注射で
無理に高カロリーの栄養分を補給して、がん細胞にお相伴させてしまう
というような"縁"のせいとも考えられる。

苦痛で、うめいたり、のたうちまわったりするのは、その姿から何かを
周囲に学ばせたいとする仏の配慮と考えたい。

どんな死に方にも意味がある。重要なことは、その死から何を学び、
何を受け取るかである。




一日一生。おまけの人生を、とにもかくにも生きている。
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[ 2012/11/03 05:14 ] 読書 | CM(0)
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