103歳、書家の悟り

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今日、雨宝院のベンチに腰かけ散り桜を眺めていると、70代くらいの女性が隣に坐られました。
毎年桜が咲く頃になると東京から京都に来られるそうです。訪ねるところはいつも決まっていて、
雨宝院はお気に入りのお寺だとのこと。いろいろお話するうちに、禅に関心を持たれている
ことがわかりました。花園大学や妙心寺で禅を学ぶコースに参加されたこともあるそうです。
禅に通ずる能や茶道にも造詣の深いかたのようでした。


仕事や趣味に充実した人生を送られてきたかたのようで、「もういつ死んでもいい」と言われるので、
たまたま持っていた篠田桃紅さんの本をお見せしました。本の帯に「いつ死んでもいい」なんて嘘。
生きているかぎり、人間は未完成とあります。


それを見た女性は、「そう思う人もいるかもしれないけれど私は本当にいつ死んでもいいと思ってます」
と話されてました。「死ぬのは怖くないですか」とたずねると、「怖くない。死んだら無になるだけ」と
言われるので「魂や霊はないと?」と問い返すと、「ないと思います」と即答されました。


さらに、死んだあとのことは気にしないとも言われてました。さもありなん。
死んだら、死んだあとのことを気にする自分もいなくなるわけですからね。
偶然会った見知らぬかたと、こんな話ができるとは思いもしませんでした。


「今日は桜を充分に楽しみました。またお会いできたらいいですね」。
「お気をつけて」。はらり、桜散る下で微笑みを交わして別れました。
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[ 2015/04/16 17:09 ] ことのは | CM(2)
  • EDIT 


  • 生前整理は

    しとくべきだと私も思います。母が亡くなったあとの家を片づけるのが大変でしたので。女性が気にしないと言われたのは葬られかたのことで、直葬でもそれこそ散骨でもいいと話されてました。お葬式は残された遺族のためと言う考え方のようでした。

    不思議な現象は私も体験しているので霊や魂はあるのかもしれませんが、その世界に心がとらわれると妄想がふくらんでしんどくなるので、いまは触らぬものに祟りなしのスタンスでおります。精神世界をさまよった末に霊や魂も「観念」という見方に辿り着きました。
    [ 2015/04/17 08:09 ] [ 編集 ]

    おはようございます。
    昨日、面倒を見ている叔父とは別の、
    母方の伯父がなくなりました。

    私も「死んだら魂はない。死んだあとのことは気にしない」
    と基本的には思っています。
    しかし、亡くなった叔母の家の片付けをしながら、
    やっぱり後に残された人のために、やっておくことはあるのではないだろうか、と思い直しはじめています。

    伯父が亡くなった日の明け方、家のドアホンがピンポンと鳴り、
    ドアが一回ガチャッひっぱられる音がしました。
    多分夢だったとは思いますが、もしかして不審者だったらどうしよう?と
    気になり、2階から降りてドアを確認しに行きました。
    伯父が亡くなることはまったく予想しておらず、生前母に会いたがっていたので、連れて来いといっているのだなあと思いました。
    魂はないのかもしれませんが、それでは説明しきれない不思議なことはあるのではないかと思っています。
    [ 2015/04/17 07:39 ] [ 編集 ]

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